先週土曜の生放送の
感想をご紹介します!
https://live.nicovideo.jp/watch/lv337702853
おはようございます。リフレッシュ休暇中のだふねです。
小林先生、昨日の生放送で、統一協会のことをがっつり語っていただき、お疲れ様でした。
私も初期『ゴー宣』の第2巻「集金奴隷」の章を読み、強烈に記憶に残っています。ワイドショーで桜田淳子や山崎浩子、合同結婚式のことが取り沙汰された時は私も「こんな胡散臭いものに寛容になれない」と感じましたが、その勘が正しかったことを証明してくれたようなものでした。
安倍晋三と統一協会のこと、私はウィキペディアで読んだ程度の知識しかないのですが、祖父・岸信介の代からの蜜月を連想させるに充分な記述がそこにはありました。
「美しい国」「日本を取り戻す」というフレーズは、統一協会由来のようですね。つながりがモロバレなのですが、平気で使うあたりに安倍の恐るべき愚鈍さ、無防備さが伺えます。それとも、そこに思いが至らないほど骨の髄まで統一原理に侵されていたということ?
統一協会の日本の皇室への見解も読みましたが(ここで書くのはおぞましいので、各自で検索を)、安倍が統一協会の荒唐無稽な教えを信じていたのだとしたら、皇室を軽視する理由もわかる気がしました。上皇陛下への揶揄(『天皇論 平成29年』のP902にて描写)も、努力でそうしているのではなく、自然な感情からだった。カルトは実に罪深いです。
悲惨な人生を歩んでいる「宗教2世」が数多く存在すること、正直私は今回の銃殺事件が起こるまですっかり忘れていました。しかし、もはや自己責任ですませられる問題じゃないのでは? 根深さにゾッとしました。
これに目を向けることなく能天気に広告塔を続け、カルト集団を優遇していた安倍が「自業自得」「因果応報」と評されるのも、やはり無理のない話ではと考えさせられました。
母親が自身の行動を、安倍の威を借りて正当化し、居直っているのだとしたら、犯人としてはそんなニセの権威主義を憎むしかなかったでしょう。
私の中に「殺人は許されない」という軸はあるにせよ、犯人が他に方法が浮かばないほどに追いつめられていたとしたら、同情は禁じ得ません。安倍のことは、手を汚す価値もなかったのに。
私も、実は祖父母の代から創価学会を信仰する一族の生まれですが、母の信心は度合いとして緩いほうで、自分の子にまで強制することはしませんでした。「信じるなら、自分で考えた上でそうしてほしい」と言われていたので、宗教がもとで虐待まがいの育て方をされた、人生を台無しにされたなんてことはない。これは本当に幸運だったと思います。
私は今、サポーターとして活動していますが、もしそれにかまけ過ぎて夫や子どもたちをほったらかしにしていたとしたら、小林先生は怒るでしょう。
『ゴー宣』からは、常識を保守すること、正しい歴史認識を持つこと、健全な家庭を築くことの大切さを学びました。これのどこが「カルト」なのでしょうか?
たとえ裕福でなくても、私を自由にさせてくれる家族がいること、その家族を大切にしたいと思える自分がいること。傍から見ればささやかなものでしょうが、私にとってはすべての原動力。生きるのが楽しくなります。
カルトの落とし穴に
落ちる人と落ちない人の違いは
どこにあるのかということを、
改めて考えさせられます。
そのカギはやはり「家族」にあるのでしょう。
家族の隙に入り込み、家族を破壊する
カルトが現在「家庭連合」と称しているなんて、
どういう最悪の冗談なんだと思いますが。